チャネリングは万能ではない
あくまで1つの指針である
神降ろし(チャネリング)が出来るようになって思ったことがあります。
当たり前のことですが、神の意思は絶対ではありません。
あくまでも《本人の意思》が最優先です。
未来もいかようにも変わります。
《現地点》ではこうなるというだけの話。
長い目で見ると変わらない未来もあります。
決まっている運命というか、どの道で行っても着地点は1つというような場合。
魂が決めていることですよね。
チャネリングって気軽に繋がれるものだから(私の場合)会話のように聞いちゃうこともあって。
でも良い意味でどっちでもいい場合もあるんですね。
どっちを選ぼうと大まかな流れに支障がない選択なんですよね。
あと無意味な情報もあります。
知っても知らなくてもどっちでもいい情報。
そういう場合も降りてこないというか、降ろすのが面倒だなと感じる時があるんですね。
無理に降ろすから余計な負荷がかかる。
だから降ろすのに時間かかるし、何か損した気分になるのですよ。
だからよくチャネリングって便利だと思うのか、興味本位でやたら聞きたがる人とかいるんですね。
降ろしてきてもいいけど、本当にそれあなたに必要な情報?
何でもかんでも聞かないでくれる?
少しは自分で考えなさいな?
と思うこともあるわけですよ。
だから対人間に関しては対価として《お金》を頂いています。
お金を払わないとちゃんと受け取って貰えないからです。
魂に響いていかない。
響かなければ《神降ろし》の意味がないんです。
私は自分のことはあまり降ろさないようにしています。
フィルターがかかることが多いから。
今まで自分で決めてきたんですもの、必要なことならば降りてくるはずだから。
神降ろしに使われるのではなくて、使わなくては。
神事には喜んで使いますよ!
神様とお話するのは楽しいですもん!
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