枠を強いてくるものにはNOを。
これは私自身の魂の目的がそうであるからなだけかも知れませんが、本質を生きようとすればするほど必要なくなる「枠組み」の概念。
思い込みや脅迫観念、上下関係、組織など私達は思っているよりかなり多くの「枠組み」の中で生活しています。
例えば、人よりも悟っていて、「こうすればあなたは本質を生きられますよ」と諭せる人達のことを≪メンター≫と呼んだりしますけれど。
教えを請うということは決して悪いことではありません。自分が知らないのですから、気付かせてもらおうと交流するのは至極当然の流れですよね。
ですが、ここに「先生」だとか「師匠」だとかの概念が入ってくると、それは「枠組み」に他ならないだろうと感じます。
もちろん「立場」としてそういう存在は必要です。親も立場のうちの一つですよね。
自分達が望んでその関係を築いて学んでいこうとしている関係ならOKな訳ですが。望んでもいなかったのに「上下関係」を強いられた場合、それは果たして受け入れるべきでしょうか?
この流れに私はNOと言いたい。
最低限の枠組みは「あなたと私」。これだけだと思うのですね。人生経験が自分より上だろうが何だろうが、それだけで上下関係を強いるのはいかがなものか。
私は誰であろうとあくまでも対等な関係を望んでいます。親だろうが何だろうが。
三次元への対処として、敬語を使ったり敢えて上として扱ったりしますけれども。
年齢なんてただの数字でしかない。
魂の私はそう思っていますので、私はどうも目上の人達に対してだいぶ悪く言うと偉そうに、良く言うと堂々とした態度で接しているようなのです。
もちろん、尊重すべきところはちゃんと尊重しますし、蔑ろになんてするつもりもありません。
自分が≪メンター≫になろうとも思わないし、そう言われたとしても、はーそうですか。としか言えない。
尊敬します、そんな堂々と出来て羨ましい!もちろん言われて嬉しいのは嬉しいですしありがたいと思っていますよ。
何が言いたいかって言うと、
つまり、ピラミッドを連想させるような関係はもう時代遅れ。
と言いたい訳です。
そうすることが学びの時代は終わっているんですよ。だからこれからは「個」が大事なのであって。
敢えて形作ることで相手に分かってもらうというスキルは必要だけれども、それは人間関係にはもう要らない。
みんなが知らないことを先に自分が知っていたから「この人凄い!」ってなるだけであって、知ったらそこからは1対1の関係でしょう。
それぞれの価値観でその本質を紐解いて、自分に合ったやり方で進むだけ。
情報交換としてお互いの経験をシェアし合えばいいだけのことでは?
肉体を持って生まれてきたこと自体が既に「枠組み」なのに、何でそれ以上枠を作る必要があるのか?
お金もそうだし、住所とか年齢とか肩書きとか。。
私自身全てにNOを突きつけられるほど悟ってはいませんけれど、少なくとも「自分に合わないことはもうしない」ということは嫌というほど今月は学んだと思います。
もういい加減、世間体がとか、歴史がどうのとか、やめませんか?
歴史ほどいい加減なものはないし、この世の常識ほど目まぐるしく変わるものはないのですよ。
自分がそうだと信じる感覚を大切にして生きて下さい。
下らない枠組みにフォーカスするとそればかり必要になるから。
1人ひとりが意識して枠を外していかないとこれからの時代はもうついていけなくなりますよ。
あなたの喜びの概念に「枠組み」があるならともかく、ないのなら。
この新月は思い切って外してみたほうが良いかも知れませんね。
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